カラードロップデザインのデザイナーは萩原と石井の2人です。 2人はフリーランスでも活動しているので、それぞれ別に仕事も持っています。
トップページに”about”という項目があるのですが、少し詳細に自己紹介していきます。
萩原雅之
1970年、東京の保谷市(現西東京市)に生まれる。生まれた病院は、吉祥寺の事務所のすぐ裏の病院。幼稚園から大学まで、多摩地区で過ごす。ネイティブな多摩地区人。
子供のころから絵やプラモデルが好きで、その流れのまま武蔵野美術大学へ。大学時代は工芸工業デザイン学科で鍛造を学び、金属への造詣を深めました。 サークルではラテン音楽に傾倒し、浅草サンバカーニバルでは入賞の常連でした。
フリーランスとなってからは、家具メーカーの顧問をはじめ、プロダクトデザインを中心に、カタログや会社案内などを含むデザイン全般で幅広く活動しています。 特に、テーブルに関しては、日本で一番テーブルをデザインした男(笑)というほどのキャリアがあります。
また、デザイン以外では数年前はクライアントの周年事業もプロデュース。WEBや各種グラフィックを一新して、プロモーションムービーなども作りました。
海外経験が豊富で、学生の頃はバックパッカーをしていました。現在は、フィリピンやインドネシア、ベトナムなど、アジア圏での仕事が多く、海外出張も頻繁にしています。近年ではベトナムやミャンマーのメーカーと新規のプロジェクトを始めています。Facebookでは美味しそうな現地の食事がたくさん載っています。
カラードロップデザインでは、デザインはもちろん、クライアントとの調整などプロデューサー的な役割をすることが多いです。スケジュールを立てて、俯瞰した広い視点でプロジェクトを回していくのが得意。
プライベートでは、アウトドアが好きな良きパパ。でも、最近は大好きな一人娘が友達と遊ぶようになって、少し寂しいらしいです。その分、また仕事にかける時間が増えたとか。アマゾンプライムの海外ドラマにもハマっているそうです。
石井勇夫
1969年、東京の大田区に生まれ、都内を転々とし、現在は東村山在住。東村山に居を構えたのは、東村山音頭で名前がなじみ深かったから。ちょっと安直でしたが、郊外で良いところですよ。
大学で社会学を修めた後、デザイナーを志し専門学校でプロダクトデザインを学びました。マンガやアニメが好きで、よく落書きしていたので、なぜか疑いもなくデザイナーになれると思っていました。なんとか、なれてよかったです。
メーカーやデザイン事務所、アニメ会社、CGプロダクションを渡り歩き、色々と経験を積みました。その後、独立してフリーランスへ。フリーランスとなってからも、映画の学校に通ったりしていました。
今は、プロダクトデザインや、CGクリエーター、WEBデザイン、イラストレーション、雑誌のライター、プロダクションの顧問などをしています。 割と興味本位で始めたことから仕事を得ています。最近はUnreal Engineというゲームエンジンに興味あります。
カラードロップデザインでは、 自称『精神的支柱』として、デザインとクリエイティブ・ワークを担当しています。新しいことへ 偏見を持たずに、 柔軟な対応と好奇心を大事にしています。
プライベートでは瞑想をよくやっています。「ああ、ついに石井もそっちへいったか……」とか思われそうなので、人にはあまり言いません。心が落ち着いて、いいですよ。おすすめです。油断すると、ずっとやってます。
2人でやる意味
デザイナー仲間からは、「よく2人で続くね」と言われます。デザイナーは自己中心的な人が多いということなのでしょうか。
実際、ケンカ別れするデザイン事務所は多いですし、もちろん自分たちも何度か危ない事態がありました。そして、たぶん今後もあるだろうと思います。
100パーセント、自分勝手にできることが自由でもありません。力の伴わない自由は不自由なことです。強くなるためのチームです。実際、2人の方がスケールの大きい仕事ができていますし、ある意味で楽しいかもしれない。もっと人を増やしたいくらいです。
また、プロダクトのデザイナーは「1人でやってこそ一人前」というイメージが、昔から強い気がします。 クライアントにベッタリくっついてデザインを提供していくなら、1人、もしくはアシスタントがいればよかった。
でも、デザインの領域は日々広がって、常に変化しています。現在は1人で全てできる時代でもありません。 私たちも1人でできることの限界をいつも痛感しています。しかし、その限界を、二人の個性の相乗効果で乗り越えていけると考えています。
ただ、デメリットもあります。単純に、報酬が割り算となってしまうことです(笑)。
次回は、仕事内容などを詳しく書いていく予定です。